2010年 04月 01日
Jean-Louis Fournier 「Où on va, papa?」 |
Que ceux qui n'ont jamais eu peur d'avoir un enfant anormal lèvent la
main.
Personne n'a levé la main.
Tout le monde y pense, comme on pense à un tremblement de terre,
comme on pense à la fin du monde, quelque chose qui n'arrive qu'une fois
J'ai eu deux fins fu monde.
障害のある子どもを持つのが怖いと、一度も思ったことが無い人は手を挙げて。
手を上げる人はいなかった。
みなが考えている。地震や、世界の終わり、そんな一度きりしか巡ってこないものを考えるように。
わたしには、世界の終わりが2度来た。
(本文より抜粋、梨の木訳)
著者のジャン=ルイ・フルニエは、1938年生まれ。作家、テレビ番組のディレクターとして活躍する彼には、重度の障害を持つ男の子が2人います。標題の「Où on va, papa?」は「パパ、どこに行くの?」という意味で、著者の次男トマが外に出かける度に、際限なく口にし続けた言葉です。長い年月を経てようやく書けるようになって出来た、息子たちへのオマージュ。突き放した書き方が、安易な同情をはねつけるようです。著者が抱えていたものの重さに、ぐっと奥歯を噛み締めたくなります。
短くて数行、長くても2頁程度の文章からなる作品で、語彙はごく日常的なものばかり。書き方も簡潔で、ときに詩的ですらあります。余白の多い140頁程度なので、全部読み終わるのに2時間とかかりません。自分をも笑い飛ばすユーモアを持って、目を反らさない、この人の書き方が好きになりました。重いテーマであるにも拘らず、何度も読み返したくなる文章です。できれば是非、原文で読んでみていただきたい。日本語訳のもっさりした部分を削ぎ落とした、非常にシャープなフランス語を味わえます。
本当はフランス語で全部書き写したいくらいですが、そうもいかないので、稚拙ながら日本語訳でいくつかご紹介しようと思います。この父親の独白の前では言葉がでません。読んで、ただ読んで、祈るようにこの親子のことを想うばかりです。
(まずは冒頭部分)
お前たちが小さかった頃、わたしはよく衝動にかられたものだ。クリスマスにお前たちのために本を買おう、と。たとえば「タンタン」だ。そのうち語り合えるようになるだろう。わたしはタンタンをよく知っている。何度も読んでいるから。
けれど、結局買うことはなかった。その必要はなかったのだ。おまえたちは読むことができなかった。そして、これからも決して読めるようにはならない。最後の最後まで、お前たちへのクリスマスプレゼントは、積み木と小さい車だ。
マチューが、わたしたちが手伝ってやれない場所にボールを捜しに行ってしまった今、トマが地上には残っているものの、一層ぼんやりとすごすようになった今、わたしは敢えて一冊本を贈ろうと思う。わたしが、お前たちのために書いた本だ。お前たちを忘れないように、お前たちが障害者証の写真だけのために存在することのないように。一度も口に出すことがなかったことを書くために。おそらく良心の呵責だ。わたしはいい父親ではなかった。しょっちゅうお前たちに我慢できなくなった。お前たちを愛するのは難しかった。お前たちと一緒にいるのは、天使のような忍耐力が必要だった。そして、わたしは天使ではなかった。
わたしは、一緒に幸せにすごせなかったことを後悔している。そして恐らく、お前たちを作り損ねたことも許してもらいたいのだ。
運が悪かったのだ、お前たちも、わたしたちも。これは天の采配だ。災難というやつだ。
文句はやめよう。
障害を持った子どものことを話す時、わたしたちは状況説明でもするかのように話す。大災害について話すように。今回だけは、わたしはお前たちのことを笑いながら話してみようと思う。お前たちには笑わせられた。いつも無意識に、というわけではなかったけれど。
お前たちのおかげで、普通の子どもの親よりもついていたこともある。勉強についての問題がおきることはなかったし、専門分野を選ぶのに困ったこともない。文系か理系かと考えあぐねることもない。おまえたちの将来を心配することもなかった。わたしたちはすぐに理解したのだ、なにもないことを。
(長男マチューについて)
マチューはますます猫背になった。運動療法も、金属のコルセットも、もう役に立たない。15歳にして、彼は土を耕して一生を送った老農夫の姿となった。散歩に連れ出しても、自分のつま先しか見ない。もう空を見ることもできない。
一瞬、わたしは靴のつま先に小さな鏡をくっつけてやろうかと考えた。バックミラーが空を映し出すように・・。
彼の脊椎側彎症は酷くなった。じきに呼吸にも影響が及ぶようになるだろう。脊柱の手術を試す必要があった。
手術は行われ、彼の背筋は完全に伸びた。
その3日後、彼はまっすぐな姿で死んだ。
結局のところ、彼がもう一度空を見るため手術は、成功したのである。
main.
Personne n'a levé la main.
Tout le monde y pense, comme on pense à un tremblement de terre,
comme on pense à la fin du monde, quelque chose qui n'arrive qu'une fois
J'ai eu deux fins fu monde.
障害のある子どもを持つのが怖いと、一度も思ったことが無い人は手を挙げて。
手を上げる人はいなかった。
みなが考えている。地震や、世界の終わり、そんな一度きりしか巡ってこないものを考えるように。
わたしには、世界の終わりが2度来た。
(本文より抜粋、梨の木訳)
著者のジャン=ルイ・フルニエは、1938年生まれ。作家、テレビ番組のディレクターとして活躍する彼には、重度の障害を持つ男の子が2人います。標題の「Où on va, papa?」は「パパ、どこに行くの?」という意味で、著者の次男トマが外に出かける度に、際限なく口にし続けた言葉です。長い年月を経てようやく書けるようになって出来た、息子たちへのオマージュ。突き放した書き方が、安易な同情をはねつけるようです。著者が抱えていたものの重さに、ぐっと奥歯を噛み締めたくなります。
短くて数行、長くても2頁程度の文章からなる作品で、語彙はごく日常的なものばかり。書き方も簡潔で、ときに詩的ですらあります。余白の多い140頁程度なので、全部読み終わるのに2時間とかかりません。自分をも笑い飛ばすユーモアを持って、目を反らさない、この人の書き方が好きになりました。重いテーマであるにも拘らず、何度も読み返したくなる文章です。できれば是非、原文で読んでみていただきたい。日本語訳のもっさりした部分を削ぎ落とした、非常にシャープなフランス語を味わえます。
本当はフランス語で全部書き写したいくらいですが、そうもいかないので、稚拙ながら日本語訳でいくつかご紹介しようと思います。この父親の独白の前では言葉がでません。読んで、ただ読んで、祈るようにこの親子のことを想うばかりです。
(まずは冒頭部分)
お前たちが小さかった頃、わたしはよく衝動にかられたものだ。クリスマスにお前たちのために本を買おう、と。たとえば「タンタン」だ。そのうち語り合えるようになるだろう。わたしはタンタンをよく知っている。何度も読んでいるから。
けれど、結局買うことはなかった。その必要はなかったのだ。おまえたちは読むことができなかった。そして、これからも決して読めるようにはならない。最後の最後まで、お前たちへのクリスマスプレゼントは、積み木と小さい車だ。
マチューが、わたしたちが手伝ってやれない場所にボールを捜しに行ってしまった今、トマが地上には残っているものの、一層ぼんやりとすごすようになった今、わたしは敢えて一冊本を贈ろうと思う。わたしが、お前たちのために書いた本だ。お前たちを忘れないように、お前たちが障害者証の写真だけのために存在することのないように。一度も口に出すことがなかったことを書くために。おそらく良心の呵責だ。わたしはいい父親ではなかった。しょっちゅうお前たちに我慢できなくなった。お前たちを愛するのは難しかった。お前たちと一緒にいるのは、天使のような忍耐力が必要だった。そして、わたしは天使ではなかった。
わたしは、一緒に幸せにすごせなかったことを後悔している。そして恐らく、お前たちを作り損ねたことも許してもらいたいのだ。
運が悪かったのだ、お前たちも、わたしたちも。これは天の采配だ。災難というやつだ。
文句はやめよう。
障害を持った子どものことを話す時、わたしたちは状況説明でもするかのように話す。大災害について話すように。今回だけは、わたしはお前たちのことを笑いながら話してみようと思う。お前たちには笑わせられた。いつも無意識に、というわけではなかったけれど。
お前たちのおかげで、普通の子どもの親よりもついていたこともある。勉強についての問題がおきることはなかったし、専門分野を選ぶのに困ったこともない。文系か理系かと考えあぐねることもない。おまえたちの将来を心配することもなかった。わたしたちはすぐに理解したのだ、なにもないことを。
(長男マチューについて)
マチューはますます猫背になった。運動療法も、金属のコルセットも、もう役に立たない。15歳にして、彼は土を耕して一生を送った老農夫の姿となった。散歩に連れ出しても、自分のつま先しか見ない。もう空を見ることもできない。
一瞬、わたしは靴のつま先に小さな鏡をくっつけてやろうかと考えた。バックミラーが空を映し出すように・・。
彼の脊椎側彎症は酷くなった。じきに呼吸にも影響が及ぶようになるだろう。脊柱の手術を試す必要があった。
手術は行われ、彼の背筋は完全に伸びた。
その3日後、彼はまっすぐな姿で死んだ。
結局のところ、彼がもう一度空を見るため手術は、成功したのである。
by poirier_AAA
| 2010-04-01 09:29
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