2010年 03月 22日
ひさしぶりのポルトガル料理 |
日曜日は知人のお祝い事に招待され、パリ郊外のポルトガル料理の店に行ってきました。ご本家のポルトガル人がまあまあと評するだけあって、味といいボリュームといいサービスといい、本場のレストランで食べるのとあまり変わりません。
日本にいた頃、ときどき無性にポルトガル料理が食べたくなって、東京にあるいくつかのレストランを試したことがあります。でも、どこに行っても結局食べたかった料理に巡り会えませんでした。東京のポルトガル・レストランの料理は(旧ポルトガル領)マカオ経由で来た味のようで、何か根本的に目指す味が違っているような感じです。そして、がっかりに拍車をかけるのが一皿の量です。お皿にぽっちりとしか出てこないのです。料理が出て来た瞬間、嗚呼ポルトガルは遠し、と思い知らされたものです。
そんなわたしのポルトガル料理初体験は、実はなかなか凄いものでした。
体調が悪いけど、魚なら食べられるだろうと思って鮭のグリルを注文したのです。出て来たのは、厚さ2センチはあろうかというぶっとい輪切り。しかも2枚。しかも店の人は、わたしが外国人なので遠慮して持って来たようで、食べられるならおかわりを持ってくるからと言うのです。目の前にある魚だけで、日本人なら4人家族の夕食に匹敵する量。しかも付け合わせにゆでたジャガイモやインゲンがこれまた別皿でどっさり出てくる。わたしは仰天しました。えらいところに来てしまったとうろたえました。
こんな荒っぽい洗礼をうけたにもかかわらず、旅が終わる頃には、今度ポルトガルに来たらあれも食べよう、これも食べようと、唾を飲み込みながら考えるようになりました。わたしの乏しいポルトガル語の語彙のほとんどが、食べ物の名前であります。
ポルトガル料理の魅力はなにか?わたしは、家庭料理の美味しさだと思います。例えばフランス料理や日本料理では、家庭で日常的に食すものと本物のレストランでプロが作るものとの間に、容易に越えられない隔たりがあります。ポルトガル料理にはそれを感じません。レストランで出て来るのは、料理上手のおふくろさんが美味しいものを食べさせてやろうと腕をふるい、たくさんお食べと慈悲深い手で盛ってくれた料理なんです。納得のいく値段で毎日食べても飽きない料理が供される、それがわたしにとってのポルトガル・レストランの印象です。
家庭では絶対に実現できない料理とサービスを味わうための店は別として、結局のところ料理屋に求めるものは限られています。丁寧にきちんと作った料理を出してくれること。店内が清潔で気配りが行き届いていること。あれやこれやの説明はいりません。「たかが肉じゃが」「たかが魚の塩焼き」なんだけど、それが普通に美味しいのが大事なんです。ポルトガルに行くと、ドライブがてらちょっと立ち寄った店でも、普通にきちんとしているので嬉しくなります。
とはいえ時代の流れなのか、この10年の間に一皿の量もだいぶ減りました。わたしがポルトガル料理の洗礼を受けた店も、気前が良すぎたのが災いしてか閉店してしまいました。ときどき観光でリスボンなどに行くと、やっぱり観光客相手の店が多く、気の抜けた料理が出てきます。魚料理が食べたいばっかりに毎年楽しみに訪れる港町のレストランも、去年はがっかりするような手抜き料理を出していました。
ポルトガルのレストランは、素朴だけれどしみじみ美味しい料理にありつけ、ポルトガル人の真面目な働き者ぶりや人の良さに触れられる場所だと思っているので、あまりひどく変わってほしくありません。いい加減に作った料理で高い料金をとるツンツンしたパリ風も、なにかと蘊蓄をたれて付加価値をつけることに熱心な接客マニュアル命の東京風も、ちょっとご勘弁を、という気持ちなのであります。
… で、肝心の料理の写真はないわけ?とお思いでしょう。ないんです。料理を目の前にして、ゆっくり写真なんぞ撮っていられませんのです。
日本にいた頃、ときどき無性にポルトガル料理が食べたくなって、東京にあるいくつかのレストランを試したことがあります。でも、どこに行っても結局食べたかった料理に巡り会えませんでした。東京のポルトガル・レストランの料理は(旧ポルトガル領)マカオ経由で来た味のようで、何か根本的に目指す味が違っているような感じです。そして、がっかりに拍車をかけるのが一皿の量です。お皿にぽっちりとしか出てこないのです。料理が出て来た瞬間、嗚呼ポルトガルは遠し、と思い知らされたものです。
そんなわたしのポルトガル料理初体験は、実はなかなか凄いものでした。
体調が悪いけど、魚なら食べられるだろうと思って鮭のグリルを注文したのです。出て来たのは、厚さ2センチはあろうかというぶっとい輪切り。しかも2枚。しかも店の人は、わたしが外国人なので遠慮して持って来たようで、食べられるならおかわりを持ってくるからと言うのです。目の前にある魚だけで、日本人なら4人家族の夕食に匹敵する量。しかも付け合わせにゆでたジャガイモやインゲンがこれまた別皿でどっさり出てくる。わたしは仰天しました。えらいところに来てしまったとうろたえました。
こんな荒っぽい洗礼をうけたにもかかわらず、旅が終わる頃には、今度ポルトガルに来たらあれも食べよう、これも食べようと、唾を飲み込みながら考えるようになりました。わたしの乏しいポルトガル語の語彙のほとんどが、食べ物の名前であります。
ポルトガル料理の魅力はなにか?わたしは、家庭料理の美味しさだと思います。例えばフランス料理や日本料理では、家庭で日常的に食すものと本物のレストランでプロが作るものとの間に、容易に越えられない隔たりがあります。ポルトガル料理にはそれを感じません。レストランで出て来るのは、料理上手のおふくろさんが美味しいものを食べさせてやろうと腕をふるい、たくさんお食べと慈悲深い手で盛ってくれた料理なんです。納得のいく値段で毎日食べても飽きない料理が供される、それがわたしにとってのポルトガル・レストランの印象です。
家庭では絶対に実現できない料理とサービスを味わうための店は別として、結局のところ料理屋に求めるものは限られています。丁寧にきちんと作った料理を出してくれること。店内が清潔で気配りが行き届いていること。あれやこれやの説明はいりません。「たかが肉じゃが」「たかが魚の塩焼き」なんだけど、それが普通に美味しいのが大事なんです。ポルトガルに行くと、ドライブがてらちょっと立ち寄った店でも、普通にきちんとしているので嬉しくなります。
とはいえ時代の流れなのか、この10年の間に一皿の量もだいぶ減りました。わたしがポルトガル料理の洗礼を受けた店も、気前が良すぎたのが災いしてか閉店してしまいました。ときどき観光でリスボンなどに行くと、やっぱり観光客相手の店が多く、気の抜けた料理が出てきます。魚料理が食べたいばっかりに毎年楽しみに訪れる港町のレストランも、去年はがっかりするような手抜き料理を出していました。
ポルトガルのレストランは、素朴だけれどしみじみ美味しい料理にありつけ、ポルトガル人の真面目な働き者ぶりや人の良さに触れられる場所だと思っているので、あまりひどく変わってほしくありません。いい加減に作った料理で高い料金をとるツンツンしたパリ風も、なにかと蘊蓄をたれて付加価値をつけることに熱心な接客マニュアル命の東京風も、ちょっとご勘弁を、という気持ちなのであります。
… で、肝心の料理の写真はないわけ?とお思いでしょう。ないんです。料理を目の前にして、ゆっくり写真なんぞ撮っていられませんのです。
by poirier_AAA
| 2010-03-22 21:32
| 味わう
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