2010年 03月 20日
強者と弱者 |
1日に1回はネットで日本語ニュースのタイトルをざっと眺めるようにしています。
その中で、最近少し気になっていることがあります。
最近、新聞の三面記事や週刊誌でかなり話題になっているらしい、やんごとなきお姫様の学校問題です。
ざっと見回した感じだと、学校の質の低下、学校と彼の家系との関係の悪化、などが議論の中心にあるようですが、すこし距離を置いてみると、気になることは他にあるような気がします。
わたしには、弱者の立場を全く考えていない、心ない報道に思われてなりません。
我が子が学校で行きたがらない、これはどんな親にとっても悩ましい問題です。両親の心中は容易に想像がつきます。もし問題があったのなら、親と学校側が徹底的に話し合い、必要なら相手の子の親と話し合う。それでらちがあかないなら学校全体の保護者会で取り上げ、子どもたち全員が気持ちよく学校に行けるようにする、それが親と学校のすべきことです。
これを公に発表するとなると、話はかわります。事前にどれだけ当事者間の話し合いがもたれたのか、わたしは知りません。しかし、世間に公表した時点で、問題はもはや当事者だけのものではなくなります。その学校に通う子を持つ家庭、その学校に関わる人たち、やんごとなき家族にかかわる関係者、すべてが世間の無責任な好奇の目にさらされることになるのです。そして、お決まりのように犯人探しと徹底的なつるし上げが始まります。
ここで考えるべきは、マスコミに対する影響力の違いです。やんごとなき家族には発表する場所があり、耳を傾けてくれる人がいます。発言はそれなりの敬意を持って扱われます。一方、学校側や他の児童の親からの発言はどうか?ホットな話題ですから注目はひくかもしれないけれど、敬意を持って扱われるかどうかは甚だ疑問です。まかり間違えば、世間の非難を一身に浴びて居場所を失うかもしれない、そういうリスクが常にあります。発言力という点では、お話にならないくらいの差があるのです。今回マスコミに発表する前に、その影響力の差についてきちんと考えていたのか、考えた末に踏み切ったのなら卑怯だし、考えないでしたのなら無神経だと思います。
そして、もう一点考えなければならないのは、学校に通う子どもたちのことです。
学校は、まず第一に子どもたちが安心して楽しく通える場所、きちんと勉強に集中できる場所であるべきです。学校のレヴェルが下がったとか、特定の家族との関係が上手く行っていないとか、それは子どもたちには直接関係ないことです。校門に群がる報道陣、親も子も不安と緊張を感じて送る毎日、特定の児童との間に築かれた微妙な壁、そっちのほうがずっと問題なのです。小学生はまだ自分の身を守ることができません。何かがおかしい、いやだと感じても、じっと抱えて我慢するしかないのです。それを守ってやるのが大人の役目です。その点が、まったく考慮されていない気がします。
学校に行かれなくて苦しんでいる子は可哀想です。ただ、今回のことに関しては、1人の子を救うために払った犠牲が大きすぎるように思います。救おうとした子どもまで逆に傷つけているように見えます。自分の子を救おうとした親も、それを受けて大衆を煽ったマスコミも、自分たちが「強者」の立場にいることに無自覚すぎるのではないかと思うのです。
その中で、最近少し気になっていることがあります。
最近、新聞の三面記事や週刊誌でかなり話題になっているらしい、やんごとなきお姫様の学校問題です。
ざっと見回した感じだと、学校の質の低下、学校と彼の家系との関係の悪化、などが議論の中心にあるようですが、すこし距離を置いてみると、気になることは他にあるような気がします。
わたしには、弱者の立場を全く考えていない、心ない報道に思われてなりません。
我が子が学校で行きたがらない、これはどんな親にとっても悩ましい問題です。両親の心中は容易に想像がつきます。もし問題があったのなら、親と学校側が徹底的に話し合い、必要なら相手の子の親と話し合う。それでらちがあかないなら学校全体の保護者会で取り上げ、子どもたち全員が気持ちよく学校に行けるようにする、それが親と学校のすべきことです。
これを公に発表するとなると、話はかわります。事前にどれだけ当事者間の話し合いがもたれたのか、わたしは知りません。しかし、世間に公表した時点で、問題はもはや当事者だけのものではなくなります。その学校に通う子を持つ家庭、その学校に関わる人たち、やんごとなき家族にかかわる関係者、すべてが世間の無責任な好奇の目にさらされることになるのです。そして、お決まりのように犯人探しと徹底的なつるし上げが始まります。
ここで考えるべきは、マスコミに対する影響力の違いです。やんごとなき家族には発表する場所があり、耳を傾けてくれる人がいます。発言はそれなりの敬意を持って扱われます。一方、学校側や他の児童の親からの発言はどうか?ホットな話題ですから注目はひくかもしれないけれど、敬意を持って扱われるかどうかは甚だ疑問です。まかり間違えば、世間の非難を一身に浴びて居場所を失うかもしれない、そういうリスクが常にあります。発言力という点では、お話にならないくらいの差があるのです。今回マスコミに発表する前に、その影響力の差についてきちんと考えていたのか、考えた末に踏み切ったのなら卑怯だし、考えないでしたのなら無神経だと思います。
そして、もう一点考えなければならないのは、学校に通う子どもたちのことです。
学校は、まず第一に子どもたちが安心して楽しく通える場所、きちんと勉強に集中できる場所であるべきです。学校のレヴェルが下がったとか、特定の家族との関係が上手く行っていないとか、それは子どもたちには直接関係ないことです。校門に群がる報道陣、親も子も不安と緊張を感じて送る毎日、特定の児童との間に築かれた微妙な壁、そっちのほうがずっと問題なのです。小学生はまだ自分の身を守ることができません。何かがおかしい、いやだと感じても、じっと抱えて我慢するしかないのです。それを守ってやるのが大人の役目です。その点が、まったく考慮されていない気がします。
学校に行かれなくて苦しんでいる子は可哀想です。ただ、今回のことに関しては、1人の子を救うために払った犠牲が大きすぎるように思います。救おうとした子どもまで逆に傷つけているように見えます。自分の子を救おうとした親も、それを受けて大衆を煽ったマスコミも、自分たちが「強者」の立場にいることに無自覚すぎるのではないかと思うのです。
by poirier_AAA
| 2010-03-20 20:40
| 世情を考える
|
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