2009年 12月 08日
藤原正彦「数学者の休憩時間」 |
恥ずかしながら藤原正彦さんの本はこれが初めてだ。数学者でエッセイストということしか知らずに読み始めたけれど、はじめの1ページくらいで打ちのめされるような感じがした。上手い!
ちまたには、エッセイと呼ばれる類いの文章がそれこそ掃いて捨てるほど存在する。そんな砂の山に混じっても、藤原さんの文章は光り輝いて埋もれてしまうことがないだろうと思う。書かれている内容も面白いが、文章自体が読んでいて心地良い。無駄な言葉を並べないし、文章にリズムがあるし、喜怒哀楽の激しい場面でも文章自体は憎らしいくらいサラリとしている。
最初の話は、藤原夫妻に最初の子がうまれた時の物語である。かなりしぶった末に、夫人のラマーズ法出産に立ち会うことになった筆者が、最後には文字通り夫人と手を取り合って出産を体験する。
‥‥ 女房のこんな顔を見たことはなかった。いや、人間のこんな顔を見るのは生まれて初めてだった。私は、この世のものとは思えない形相に圧倒された。私に比べはるかに小さくか弱い女房の、どこにこんな形相が、こんなにも恐ろしい力が隠されていたのか。この命がけの、鬼神をも打ちのめす気迫の顔が、人間が人間を産み落とすときの顔なのかと思った。女性が、氷河の時代から途切れなく保ち続けて来た顔なのかと思った。それは醜くも美しくもなかった。ただ息をのむほどに感動的な顔であった。‥‥
読んでいるうちに泣きそうになった。自分が出産したときのことを久しぶりに思い出して感傷的になったこともある。男性がこういう目で出産をとらえて書いてくれたことに感動した、とも思う。年代的には男性が体面を保つことを信条とした世代だと思われるのに、この人は自分の感情の動きにとても正直で率直だ。
そして、この本の最後には「父の旅、私の旅」という、父・新田次郎の取材旅行の足跡をたどったポルトガル旅行記がおさめられている。わたし自身も浅からぬ縁で結ばれることになったポルトガルについて、こんな文章を書いていた人がいたなんて全然知らなかった。これは嬉しい発見。
このポルトガル旅行は、父が亡くなってから2年の後もその突然の死を受け入れられずにいた筆者が、父が死の直前まで全身全霊をかけて取り組んでいた「ポルトガルのサウダーデ(郷愁)」と「サウダーデを探し求めて地の果てまでやって来た父親」を探して追体験するための旅だ。全体を通して、筆者にとって父親がどれほど大きい存在だったかが痛いほど伝わって来る。これほどまで強い繋がりを父親と持てた人がいるのかと、わたしなどは驚嘆してしまう。
わたしの知っているポルトガルのざっと20年も前の姿だし、父親の追悼旅行でもあるから些か感傷に流れるところも見られるのだけれど,それでもポルトガルらしいポルトガルが描写されていると思った。ポルトガルを南北に移動すると気づく、植生の変化。風景。北部ヨーロッパの人々のリゾート地と化した最南端アルガルヴ地方に来て「ここはポルトガルではない」とつぶやく筆者。思わず膝を打ちたくなった。
「郷愁ーサウダーデ」という新田次郎の絶筆を読んでみたくなった。それから、母・藤原ていの「流れる星は生きている」も。
ちまたには、エッセイと呼ばれる類いの文章がそれこそ掃いて捨てるほど存在する。そんな砂の山に混じっても、藤原さんの文章は光り輝いて埋もれてしまうことがないだろうと思う。書かれている内容も面白いが、文章自体が読んでいて心地良い。無駄な言葉を並べないし、文章にリズムがあるし、喜怒哀楽の激しい場面でも文章自体は憎らしいくらいサラリとしている。
最初の話は、藤原夫妻に最初の子がうまれた時の物語である。かなりしぶった末に、夫人のラマーズ法出産に立ち会うことになった筆者が、最後には文字通り夫人と手を取り合って出産を体験する。
‥‥ 女房のこんな顔を見たことはなかった。いや、人間のこんな顔を見るのは生まれて初めてだった。私は、この世のものとは思えない形相に圧倒された。私に比べはるかに小さくか弱い女房の、どこにこんな形相が、こんなにも恐ろしい力が隠されていたのか。この命がけの、鬼神をも打ちのめす気迫の顔が、人間が人間を産み落とすときの顔なのかと思った。女性が、氷河の時代から途切れなく保ち続けて来た顔なのかと思った。それは醜くも美しくもなかった。ただ息をのむほどに感動的な顔であった。‥‥
読んでいるうちに泣きそうになった。自分が出産したときのことを久しぶりに思い出して感傷的になったこともある。男性がこういう目で出産をとらえて書いてくれたことに感動した、とも思う。年代的には男性が体面を保つことを信条とした世代だと思われるのに、この人は自分の感情の動きにとても正直で率直だ。
そして、この本の最後には「父の旅、私の旅」という、父・新田次郎の取材旅行の足跡をたどったポルトガル旅行記がおさめられている。わたし自身も浅からぬ縁で結ばれることになったポルトガルについて、こんな文章を書いていた人がいたなんて全然知らなかった。これは嬉しい発見。
このポルトガル旅行は、父が亡くなってから2年の後もその突然の死を受け入れられずにいた筆者が、父が死の直前まで全身全霊をかけて取り組んでいた「ポルトガルのサウダーデ(郷愁)」と「サウダーデを探し求めて地の果てまでやって来た父親」を探して追体験するための旅だ。全体を通して、筆者にとって父親がどれほど大きい存在だったかが痛いほど伝わって来る。これほどまで強い繋がりを父親と持てた人がいるのかと、わたしなどは驚嘆してしまう。
わたしの知っているポルトガルのざっと20年も前の姿だし、父親の追悼旅行でもあるから些か感傷に流れるところも見られるのだけれど,それでもポルトガルらしいポルトガルが描写されていると思った。ポルトガルを南北に移動すると気づく、植生の変化。風景。北部ヨーロッパの人々のリゾート地と化した最南端アルガルヴ地方に来て「ここはポルトガルではない」とつぶやく筆者。思わず膝を打ちたくなった。
「郷愁ーサウダーデ」という新田次郎の絶筆を読んでみたくなった。それから、母・藤原ていの「流れる星は生きている」も。
by poirier_AAA
| 2009-12-08 21:08
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