2009年 11月 21日
おしゃべり花盛り |
パリという街は、大都市でありながら人間臭い部分を多分に残している。密集感を少しでも減らすためか、周囲の他人の存在をなるべく考えないようにして生きていた東京とは、受ける印象が大分違う。
わたしが密かに、フランスに慣れたかどうかの「踏み絵」と呼んでいるのが、見知らぬ他人とのおしゃべり。フランスの人々は本当によくしゃべる。女の人の方が顕著だけど、男の人だって水を向けられれば拒まない。たまたま隣り合った全然知らない人にでも平気で話しかけて、そのまま別れるときまでずーっと話し続ける、なんて場面もよく見る。
例えば、わたしはバスで移動するのが好きなんだけれど、バスというのは動く社交場みたいなものなのだ。バス停でバスを待つ。来ないわね。わたしはもう10分も待っているんですよ。あら、どこかでデモ行進でもしてるのかしら?
バスに乗る。ベビーカーを押して乗って来た母親がいる。可愛いわね。何ヶ月?大変でしょう?おとなしい良い子ねぇ。
隣に座って来た女性がいる。座れて良かったわ、随分歩いたから疲れていたのよ。そうね、時間帯によっては全然席が空いてないこともあるしね。あ、あそこに脚の悪いご婦人がいるわよ。あそこの若い子が立ってあげれば良いのにねぇ。… なんて具合に、とにかくもう何でも頭に思いついたことをしゃべっている感じ。
ほんの少しの間でも1人で黙って過ごすというのが苦手なのかな?フランス人は本当におしゃべりが好きだからね。
とにかくコミュニケーションを厭わないということで、結構なメリットがあるのだ。
退屈しない。外出に本を持って行く必要なし。地図がいらない。人に聞きまくる。思わぬ地域情報をゲットできる。おまけに見知らぬ他人と話すことで、日々脳細胞を刺激できる。
わたしなんか気が小さいもので、普段はあんまり話しかけられないように隅っこでちんまりひっそりとしている口である。それでも、メトロが急に停まってしまった時、アナウンスが良く聞き取れなかった時、バスの終点が急に変わって途中で降ろされてしまった時、なんかは躊躇わずにそばの人に話しかけることにしている。ほとんどが役に立たないおしゃべりであっても、瞬間的にお互いの不運を嘆き、慰め合い、意見交換をし、役に立つかもしれない情報を分け合うこともできる。ひょっと親切に手を差し伸べてくれる人もいる。イライラしていたのがすっと収まって、逆にいい気持ちになってしまうことだってある。
中にはとても不愉快な態度を取る人もいる。でも、周りの人から必ずと言っていいほど諌める言葉がかかる。そういう場面に出くわすとなんだかとても安心する。社会生活の中にちゃんと良心が存在するんだなぁと思う。
フランス人のおしゃべり好きには正直辟易することもある。でも彼らにとっては生活の潤滑油みたいなもの。大都市と云えども人間同士の付き合いに変わりはないのである。いわゆる観光名所といわれる観光客ばかりが多い場所ではほとんど目にすることがないかもしれないけれど、道を1本入ってみて欲しい。そこにはパリに住む人々が存在し、思いがけず人間臭い場面に出くわすかもしれない。
わたしが密かに、フランスに慣れたかどうかの「踏み絵」と呼んでいるのが、見知らぬ他人とのおしゃべり。フランスの人々は本当によくしゃべる。女の人の方が顕著だけど、男の人だって水を向けられれば拒まない。たまたま隣り合った全然知らない人にでも平気で話しかけて、そのまま別れるときまでずーっと話し続ける、なんて場面もよく見る。
例えば、わたしはバスで移動するのが好きなんだけれど、バスというのは動く社交場みたいなものなのだ。バス停でバスを待つ。来ないわね。わたしはもう10分も待っているんですよ。あら、どこかでデモ行進でもしてるのかしら?
バスに乗る。ベビーカーを押して乗って来た母親がいる。可愛いわね。何ヶ月?大変でしょう?おとなしい良い子ねぇ。
隣に座って来た女性がいる。座れて良かったわ、随分歩いたから疲れていたのよ。そうね、時間帯によっては全然席が空いてないこともあるしね。あ、あそこに脚の悪いご婦人がいるわよ。あそこの若い子が立ってあげれば良いのにねぇ。… なんて具合に、とにかくもう何でも頭に思いついたことをしゃべっている感じ。
ほんの少しの間でも1人で黙って過ごすというのが苦手なのかな?フランス人は本当におしゃべりが好きだからね。
とにかくコミュニケーションを厭わないということで、結構なメリットがあるのだ。
退屈しない。外出に本を持って行く必要なし。地図がいらない。人に聞きまくる。思わぬ地域情報をゲットできる。おまけに見知らぬ他人と話すことで、日々脳細胞を刺激できる。
わたしなんか気が小さいもので、普段はあんまり話しかけられないように隅っこでちんまりひっそりとしている口である。それでも、メトロが急に停まってしまった時、アナウンスが良く聞き取れなかった時、バスの終点が急に変わって途中で降ろされてしまった時、なんかは躊躇わずにそばの人に話しかけることにしている。ほとんどが役に立たないおしゃべりであっても、瞬間的にお互いの不運を嘆き、慰め合い、意見交換をし、役に立つかもしれない情報を分け合うこともできる。ひょっと親切に手を差し伸べてくれる人もいる。イライラしていたのがすっと収まって、逆にいい気持ちになってしまうことだってある。
中にはとても不愉快な態度を取る人もいる。でも、周りの人から必ずと言っていいほど諌める言葉がかかる。そういう場面に出くわすとなんだかとても安心する。社会生活の中にちゃんと良心が存在するんだなぁと思う。
フランス人のおしゃべり好きには正直辟易することもある。でも彼らにとっては生活の潤滑油みたいなもの。大都市と云えども人間同士の付き合いに変わりはないのである。いわゆる観光名所といわれる観光客ばかりが多い場所ではほとんど目にすることがないかもしれないけれど、道を1本入ってみて欲しい。そこにはパリに住む人々が存在し、思いがけず人間臭い場面に出くわすかもしれない。
by poirier_AAA
| 2009-11-21 19:01
| 日々の断片
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