2009年 03月 30日
ヘンな日本語 |
(私、フランス語で) 「あのお店で食事してみる?」
(夫、日本語で) 」 「ちょっと・・・・・・・」
(私、フランス語で) 「ちょっと何?」
夫と付き合い始めた頃、こんな問答をよくしていました。誰かに誘われたり、何かを申し出られたとき、夫は日本語でよくこんな答え方をしていたのです。 最初のうちこそ、ん?と聞き捨てていましたが、何回も続くうちに次第にイライラしてきて、「だから何なのっ!どうしたいのっ!」と喧嘩ごしに。
夫が答えて説明するには、日本語の先生が、日本人にははっきりすっぱり断る習慣がなく、誘われてすぐ「ノー」というと相手にショックを与えることがあるので、やんわりと「ちょっと・・・」と語尾をぼかして断りましょう、と言ったとか。
確かにそんな断り方もあります。何人かで話している時、例えばこれからどこそこに行きましょうという流れになって、でも自分は行かない、という時など、「わたしはちょっと・・・」。これなら自然です。
それでも、わたしはやはりきちんと意思表示をして欲しいと思います。たとえ少しばかりの嘘をつくことになっても(その日は先約がある、もうお腹が一杯で・・・など)、断るべきときはきちんと「ありがとう、でもノー」と言うのが、相手に対する礼儀ではないですか?きちんとした断りには誠意があります。
・・・というようなことを、当時は激怒しつつ力説したわけで、夫も納得して一件落着しました。
今となって考えてみると、日本人に「ちょっと」を使われるのはあまり不快ではなく、つまりは文化的暗黙の了解事項を共有していない夫が「ちょっと」を多発して理解を求めていたのが気に入らなかったのかと。育った文化圏も違うし、お互い相手の母語での言語能力が低い以上、直接的で詳細な会話を繰り返さなければ理解しあえない部分も多いのです。
しかし最近、「食べたいの食べたくないの?」、「どうしたいのか、きちんと言いなさい」などと子供にいっている自分に気がつき、白黒はっきりさせたいのは実は性格のせいかも、と思ったことでした。
(夫、日本語で) 」 「ちょっと・・・・・・・」
(私、フランス語で) 「ちょっと何?」
夫と付き合い始めた頃、こんな問答をよくしていました。誰かに誘われたり、何かを申し出られたとき、夫は日本語でよくこんな答え方をしていたのです。 最初のうちこそ、ん?と聞き捨てていましたが、何回も続くうちに次第にイライラしてきて、「だから何なのっ!どうしたいのっ!」と喧嘩ごしに。
夫が答えて説明するには、日本語の先生が、日本人にははっきりすっぱり断る習慣がなく、誘われてすぐ「ノー」というと相手にショックを与えることがあるので、やんわりと「ちょっと・・・」と語尾をぼかして断りましょう、と言ったとか。
確かにそんな断り方もあります。何人かで話している時、例えばこれからどこそこに行きましょうという流れになって、でも自分は行かない、という時など、「わたしはちょっと・・・」。これなら自然です。
それでも、わたしはやはりきちんと意思表示をして欲しいと思います。たとえ少しばかりの嘘をつくことになっても(その日は先約がある、もうお腹が一杯で・・・など)、断るべきときはきちんと「ありがとう、でもノー」と言うのが、相手に対する礼儀ではないですか?きちんとした断りには誠意があります。
・・・というようなことを、当時は激怒しつつ力説したわけで、夫も納得して一件落着しました。
今となって考えてみると、日本人に「ちょっと」を使われるのはあまり不快ではなく、つまりは文化的暗黙の了解事項を共有していない夫が「ちょっと」を多発して理解を求めていたのが気に入らなかったのかと。育った文化圏も違うし、お互い相手の母語での言語能力が低い以上、直接的で詳細な会話を繰り返さなければ理解しあえない部分も多いのです。
しかし最近、「食べたいの食べたくないの?」、「どうしたいのか、きちんと言いなさい」などと子供にいっている自分に気がつき、白黒はっきりさせたいのは実は性格のせいかも、と思ったことでした。
by poirier_AAA
| 2009-03-30 18:28
| 言葉と文化のはざま
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